カフェギャラりー杢&木彫工房SYU

洞爺湖町にあるカフェギャラりー杢&木彫工房SYUのブログです。

一歳になったチャロ

秋も深まり木枯らしが吹き出す頃になるともう草は枯れて干草を食べるようになった。納屋の横にあった農具を置いてあった下屋をチャロの部屋にし、藁を敷いて餌台を作りその中に干草を入れていた。すのこのような木の隙間から牧草を口で器用に引っ張り出し好きなだけ食べるのだ。。栄養価が高いと言うオーストラリアの牧草の塊を農協で仕入れたり、妻の知り合いに牛飼いが居るというのでオロフレ峠まで牧草ロールを分けてもらいに行ったこともあった。岩塩を貰ったり考えてみるといろんな人に随分世話になったものだ。
雪が積もり、すっかり白銀の世界になり、氷点下の日が多くなっても、チャロはさすがに純毛の断熱材で吹雪の時以外は雪の中に出て元気に歩き回ったり、しゃがみこんで口をもぐもぐ動かし食べた牧草を反芻していた。何を考えているものか、なにしろマイペースでのんびりとくつろいでいた。まずは面倒なことはしない、急がない、慌てない、余計なことは考えないと言うなんとも羨ましい哲学を実践していた様に思う。座ったままの格好でその上に雪が数センチ積もっていたこともあった。
春が来て雪が解け始め黒い土が出てきた頃、妻と三週間ほど旅行に出ることになった。
一歳になったチャロをどうするかということになり、食べるわけにもいかぬので洞爺村の蕎麦屋の友人に預けることにした。この友人Tさん夫妻は動物が大好きでありとあらゆるものを飼っていた。犬猫はもちろんアヒル、九官鳥、カラスまで。カラスの話は泣ける話で、子カラスを餌付けしやっとなついたのだが、人を警戒しなかったため、隣の唐黍畑で農夫に殺されてしまったと言う。
チャロを預けた時は大きいポニーを飼いだして子供を生ませるのだと言っていた時だった。喜んで預かってくれるという事で大きくなったチャロをライトバンの荷室に積んで洞爺村に運んだ。この時はまだこの後、彼女の人生いや羊生が大きく変わるとは誰も思って居なかった。

疲れたので、また続く・・・・。果たしてこのあといったいどんなことが彼女を待っているのだろうか?乞うご期待!

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雪の中の廃屋

今年の気候はちょっとおかしい。北海道でも道東や道北は大雪で大変だと言うが、ここ虻田では雪が殆ど無く、山でも土が出てまるで春の陽気だ。いつもは雪の多い隣町豊浦でも二月に入って雪が降らずまだ一度も除雪をしていない、こんな年は初めてだと言う。そういえば例年一月二月に何度もある最高気温が氷点下の真冬日が一度も無かったような気がする。もちろん水道の凍結注意報も無かった。今日は三月の陽気というがこのまま雪も積もらず春になるのであろうか?
おかげで雪上散歩も雪不足でコースが決まってしまい自由に山を歩くことが出来ない。
今日は初めての畑のゆるい斜面を登ってみた。しばらく行くと道路からは見えなかったが農家の廃屋があった。傾いたブロックのサイロ、屋根の抜けた納屋、中にはうち捨てられたままの干草の塊、ガラス窓が割れ屋根が崩れかかった母屋などが無残にさらされている。
そういえばここ数年廃業した農家、牧場が多く、荒れた畑、田圃跡、荒れた牧草地がよく目に付く。俺が北海道に来た40年位前は開拓に入ってみたものの思うように作物がとれず離農した農家の跡はよく在った。山菜を採りに行く途中で見かけた廃屋を国語の教師だった先輩が、「ここには夢が詰まっていたのだ」と言うのを聞き、詩人だなあと感心したことを覚えている。
だが、今の状況は作物がとれないのでなく、後継者がいないとか余りにも生活するには所得が低いとかで止む無く廃業しているようなのだ。豊かに実る畑、水も豊富でおいしい米が取れる田圃、牛や羊がいくらでも飼える広い牧草地、こんな土地が草が生い茂り雑木が伸び茨や笹がはびこり荒れ放題になっている。自然に帰るといえば聞こえは良いがとても醜い風景に思えるのだ。TPPが進めば大規模に集約されぬ土地はもっと酷いことになるだろう。そしてわが国の食料自給率はと言えばたった40パーセントしかないのだ。どこかおかしくないだろうか?

廃屋のあいだを歩きながら、家の煙突からは煙が上がり薪ストーブを囲んで家族が団欒し賑やかな子供の声が聞こえ、牧舎では牛が白い息を吐きながらベーベーと啼いている、そんな情景を思った。
最中のような雪に覆われた畑を登りつめ振り返ると、茜色に染まった空の下、正面に有珠山がピンクに染まり、右手には内浦湾が青く輝き、その海の遠く向こうに駒ケ岳が銀色に光っていた。

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チャロの成長

雪がすっかり解けて草が出てくるとチャロも離乳期に入りミルクから草を食べるようになってきた。体もしっかりしてきてすっかり子羊の体になってきた。雪よりも白いふわふわの毛に包まれ、足が長く丸い顔でくりっとした目、長いまつげ、ぺろぺろと舌を出す口。この頃の可愛さはどんなペットもかなわないだろう。
ミルクをやり続けた俺を親と思っているのか、どこに行くにもベーベー言いながらちょろちょろついて来る。その頃住んでいた家は昔の農家を改造した家で、隣にあった納屋を仕事場にしていた。この頃だったろうか、俺が仕事場に行くとついて来て中に入ると何時間も出て来るまで納屋の戸の前に座って待っていた。
はじめは家の周りに放し飼いにし雑草を食べさせていたが、花壇のバラの芽を食べつくし、出て来た花の芽を食べ、ちょっと目を放した隙に隣の家のチューリップのやっと出てきた蕾をすべて食べ、花の無いチューリップの無残な姿が並んでいるに至って、家と納屋の間に柵を作ってその中で飼う事にした。そこには小さな菜園があったのだが、野菜の苗は一番の好物であった。この頃チャロは草を食べているか、前足を正座のように折りたたみ座り込んで口をもごもご動かして反芻しているか、目を閉じうつらうつらしているかなのだが不思議とそれを見ていていつまでも飽きないのだ。癒し系の権化である。時々遊んでやると喜んで頭をごつごつぶつけてきた。
近くの保育園の保母さんがどこで聞きつけたものか園児を連れて見学に来たのもこの頃である。
夏になり雑草の成長とともに体もどんどん大きくなり、柵の中の草だけでは間に合わなくなってきた。家の周りの草刈はチャロの仕事になり繋いでおくと丸く綺麗に刈り込む。石垣の間の草からコンクリートの割れ目の草まで実に綺麗に食べていたが、毒があるのかすずらんと水仙だけは食べずに残していた。本能はすごいと思っていたら、一度すずらんを食べて吐いていたのを見たと妻が言う。辛い思いもしていたんだなあ。
近くの人が草刈に借りたいと言うので何度か貸し出したことも有った。
秋になると草も足りなくなり、豆畑で脱穀した豆殻を車一杯貰ってきたが、これは本当に喜んで食べていた。米農家から敷き藁を貰ってきたり、農協で干草を仕入れたりといろいろ教わりながら冬の準備をしたが、その頃には未熟児で生まれたチャロももう40キロ近くになり立派なウールマークのついた毛皮を羽織っていた。

続く           拍手が在れば・・・・          

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