カフェギャラりー杢&木彫工房SYU

洞爺湖町にあるカフェギャラりー杢&木彫工房SYUのブログです。

チャロ最終章

夢遊館という蕎麦屋は湖を一望できる半円形の壁一面の窓があり、その景色を見ながら手打ちのそばを食えるのである。そんなところで客がのんびりくつろいで景色を見ているとその前をドコドコ羊が横切る、なんだなんだと驚いていると、その後からドドッとポニーが横切る。今度は反対に下手からドコドコ。客は皆あっけにとられると言うわけだ。こんな追いかけっこか鬼ごっこをチャロはポニーといつもやっていた。結構お店に来る客の人気者にもなっていたらしい。

夏になって毛刈りをしてみたが大変だったと言うのでさっそく行ってみた。何でもチャロに背負い投げをされてTさんがはさみを持ったまま崖の下に転げ落とされたと言う。羊の毛狩りは基本的に座らせて後ろから抱きかかえるようにし、はさみで刈り込んでいくのだが、その途中チャロが暴れて見事一本取ったという。丸裸になったチャロを見るとさもありなん、体中血だらけで遠くから見るとピンクの羊になっていた。

牧柵でも苦労したと聞く。牧柵とは移動できる十坪位の電気を通す針金で囲われた柵でポニー二頭とチャロを入れておいたそうだ。ポニーは体が触れるとビリッとするので柵には触れずおとなしくしていたらしいのだが、チャロは顔が触れるとビリッとするが顔以外は分厚い羊毛が絶縁材になることを知りお尻で柵を倒して皆を脱走させたという。それも一度でなく何度も。その度にTさんは警察に呼ばれ、さすらっている馬を捕まえに行き、始末書を書かされたそうだ。当のチャロは何事も無かったように暫くすると戻って来、蕎麦屋の入り口のドアをかじっていたと言う。一般に羊は脳味噌の量が少なく賢くは無いと言われているがそんなことは無いと奥さんが力説していた。結局チャロのおかげで広い土地をぐるっと柵で囲わなくてはならぬ羽目になったそうだ。

チャロが転居して一年半も過ぎた頃だろうか、夢遊館で民族楽器のライブがあった。もう日が落ち湖の光がやっと見えるかという黄昏の中、表で大きな声で「チャロー」と呼ぶと遠くの方から「ベェエ~」と返事があった。たまにしか来ぬのに声だけで俺が分かるんだとちょっと胸が熱くなった。

その年の秋、俺が物産展で横浜のデパートに居た時、Tさんから携帯に電話が入った。なんだろうと思うと、随分落ち込んだ声で、チャロを事故で殺してしまったと言う。杭につないで草を食わせていたところ転がって首を吊ってしまったとの事。余りに済まなそうに言うので俺は「しょうがないよ。それでチャロは食ってやったか?」と言うと、「そんなことはとても出来ない、墓を掘って埋めてやった」と消え入りそうな声で言っていた。

チャロを本当に可愛がってくれたTさんも、その後病が発覚し6年間の闘病生活を経て数年前に亡くなってしまった。
夢遊館の後はやはりアウトドアを仕事にしている人に貸し今ネイチャーセンターの様なものになっている。

ひょんな事からチャロの事を思い出し、忘れていた事等奥さんに聞き拙い文にしてみたが、未熟児で生まれた本当に小さな羊がその後の成長とともに俺の心をどれだけ豊かにしてくれたか、今にして感じ入るのである。

放し飼いが出来ない等ペットを飼うことが随分窮屈になった現在、広い土地さえあれば又羊は飼いたいと思う。だが俺も年を重ね時代も変わった今、果たしてチャロのような羊が居るのだろうか。

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春の深雪

            2015kA

頂きました。極上の雪、今シーズンこれで終わりかな・・・・・?

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チャロその4、有珠山噴火

夫婦で行った旅から帰ってくると有珠山が大変なことになっていた。
地震が続き、もうすぐ噴火するのが確実で避難指示が出ているという。
虻田の家に向かうともう交通規制で洞爺湖方面に行けなくなっていた。
娘が居るからと(と言っても羊なのだが)どうにか洞爺村のチャロを預かってもらっているTさんの蕎麦屋までたどり着き、チャロの名を呼ぶと返事をし元気な顔を見せた。チャロを構いながらTさん夫妻と噴火がいつになるのか、などと話しているうち有珠山を見ていた旦那が「噴火したわ!」と当たり前のことのように言い、見ると有珠山の裾からもくもくと黒い噴煙が登りだしていた。どうも家に近い!慌てて家に帰ろうとするがすぐに完全な通行止め、噴火口から二キロ余りしか無かった家にはもうたどり着けず、そのままいわゆる避難民になった。もちろんチャロは預かってもらったまま。2000年3月31日のことだ。
これから三ヶ月以上の避難生活が始まるのだが、その話はまたひとつの話が書けるほどいろいろあったのでここでは省略。俺はカヤックやサッカーの友人に「明る過ぎる避難民」とありがたい称号を頂いては居た。

夏になって、どうにか家に帰れるようになり、チャロも引き取ることも出来たのだが、知人友人親や子身内まで誰もが皆、洞爺の蕎麦屋さんに居た方が幸せだと口をそろえて言う。確かに湖を一望する高台で広い土地もあり、またそこのポニーになつき、春に生まれた子馬とは兄弟のように遊んでいるのを見ると俺もそう思わざるを得なかった。T夫妻も喜んで引き受けてくれ、ここでチャロは正式に洞爺村に転居したのである。

このTさんというのはやんちゃ坊主をそのまま大人にしたような人で洞爺村生まれの自然児、アウトドアの申し子のような人だった。若い頃からスキーはもちろん、オートバイで野山を駆け巡りエンデューロとかの大会をしたり、洞爺湖で初めてカヌーのガイド、インストラクターをした人でもあった。消防署の職員だったのだが待機時間中何もしないで居る時、こんなことをして大事な時間を過ごしていいものかと思い悩み、辞めてしまったと言う。夫婦でトンネルの内枠を使い大きなかまぼこ型の家を建て夢遊館という蕎麦屋をやり、洞爺湖の中島までカヌーのツアーなどもやっていた。カヌーをやりにメキシコまで行ったり、放牧民の暮らしを見にモンゴルまで行っていた人でもあった。チャロを見ては、モンゴルで羊の解体を見ているから血の一滴も無駄にせず食料に出来るなどとよく冗談を言っていた。俺と同世代と言うこともありため口で話せる仲でもあり、随分遊んでもらったが、彼等のところには日本中から沢山の人が人柄を慕い遊びに来ていた。今思うと皆自分が心の底でやりたいと思っていることを、彼があふれる優しさを持ち、人並みはずれたエネルギーと行動力で実践してくれていたからではないかと思う。もちろんそこにはそんな彼を支えていた奥さんの大きな力があるのだが・・・・。彼のことを書き出すとまた一冊の本になってしまう。
俺としては、まあ本当に良い所に貰われたと娘を嫁に出した親の感でもあった。

それからチャロはポニー「もも」その子馬「すもも」T夫妻との生活の中、可笑しな出来事を次々と起こしていくのである。

続く!   いろいろなことがあってなかなか話が進まない。続編は一週間ほどでアップしようと思うのだが・・・。

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春の十五夜

三月に入り、虻田ではすっかり雪が解け春のような日が続く。
昨夜久しぶりに雪が降り、朝、白い世界になっていたが、それも昼前にはすっかり解けていた。
山ももうスキーで歩けるところが無くなってしまい、今日夕方今年初めて山の道路を靴で歩いた。
スキーで歩くのとは使う筋肉が少し違うようで、しばらく歩くと尻と腰が痛い。もう少し山をスキーで歩きたかったな、などと多少感傷に浸りながら柳の木の大きく膨らんできた芽を見ていたが、気がつくと有珠山の裾の山際にまん丸の月が昇り、初めクリーム色だった月が刻々と色を変え、暫くすると卵の黄身のような月がぽっかりと浮かんでいた。
どこかでウサギは跳ねているだろうか?


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