カフェギャラりー杢&木彫工房SYU

洞爺湖町にあるカフェギャラりー杢&木彫工房SYUのブログです。

そうなんですね!

そうなんですね。

この言葉を聴くたびなんだか気持ち悪くなる。いつからこの言葉を聴くようになったのだろう?
63歳の俺の中にこの口語は無い。そうなんですと言うのはしゃべっている方の言葉でそれに対する応対の言葉としてはおかしいと思うのだ。よっぽど近しい間柄ならともかく、なんだか馬鹿にされている、と言うか真剣に聞いての対応だとは思えない。

前に20代の姪が俺の話を聞き必ずこの「そうなんですね」を連発していて、俺の前では使うなと言ったことがあるのだが、今でも相変わらず「そうなんですね。」
彼女が特別かと思っていたのだが、取材に来た言葉重視の仕事をしている40代の若者が使っていたり、どうもこれが当たり前に使われている言葉のようで、気になるとそれが氾濫しているのに気がつくのだ。今やテレビの中でタレントが連発、それだけでなく女子アナ、コメンテーターまで使っている。
まあ相槌を打つのにこの言葉を使っておけば無難で丁寧にも聞こえるだろうと思っているのだろうが、「そうですか」「そうだったんですね」「そうなんですか」「そうでしたか」「そうですね」これを使い分けるのが本当だと思うのだが、どうだろうか?当方国語の文法には大した知識が無く正しいかどうかは判らぬのだが「そうなんですね」に対する違和感、居心地の悪さがどうしても拭い去れない。
まあコンビニで千円からですね、とか一万円からでいいですか?とか言うめちゃくちゃな言葉が市民権を得て当たり前に使われているのだからこの「そうなんですね」ももう常套句になっているのかもしれない。
このブログを読んだ若い人も、「おじいさんたちの感覚では、そうなんですね!」・・・かな?

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贅沢な時空

先週末、東京の高校の同級だった悪友四人が連れ立ってジジイの遠足のごとく、はるばる北海道の我が家まで遊びに来てくれた。一人はいまどき珍しい飛行機恐怖症でJRを乗り継いで8時間の旅。
先ずは知り合いのホテルで地元の旨い物を食べての大宴会。さて次の日何処に行ったら喜ぶかを思案し、幸い天気も良く今年一番の暑さ(と言っても28度程)だったのでちょっとした贅沢を思いついた。
テントと椅子を積み込み酒とつまみを持って、近くの俺が一番好きな大岸の海に行った。両側に高い岬がせり出し目の前に広がった青い海から砂浜に白い波が打ち寄せてくる。
空は雲ひとつ無く心地よい風がそよぐ。海では学生だろうか若者の団体が流行のSUPと言うサーフボードに乗りひっくり返って遊んでいる。

スクリーンテントを建て椅子を持ち込み、ビールを飲みサンドイッチをつまむ。(悲しいかな俺だけはお茶であったが・・・)まさにジジイのピクニックである。アクティブなやつは誰一人居らず椅子に座ってぼんやり海を見ていたり、シートに寝っ転がってうたた寝をしたり、ウィスキーを飲み酩酊したり各自気ままに時を過ごした。まあ昔話に花が咲いたのは言うまでもないが。

雨だったら一人は函館まで行き函館競馬、あとはホテルでマージャンの予定であった。天気に感謝感謝である。

贅沢な時に別れを告げ、夕方帰りの車でビートルズをかけ伊豆をドライブしたことなど思い出し、声だけは昔のままの友たちと馬鹿をやっていた頃の話をしていると、すっかりタイムスリップしたような気になって運転していた。

暫くしてふと横を見ると腹が出て頭が薄くなったオヤジが居り、鏡を覗くと髭と髪が真っ白になった俺が居て、45年後の現在に一瞬で引き戻された。

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次の日札幌まで送り、ちょっと時間があったので  大倉山のジャンプ台に連れて行ったが、二人が高所恐怖症、どうにかリフトには乗せたものの、スタート台から下を見ず、帰りのリフトも横の草むらを見続けていたのには拍子抜け、まあ良い話のねたと冥土の土産にはなっただろう。 

昔の事、今回の事、面白い話は幾らでも枚挙にいとまは無いのだが、友もブログを見ているだろうし、品位を下げ名誉毀損になることばかりなのでここでは書かずにおこう。

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川歩き

やっと北海道の夏が戻ってきた。青い空、藍色の海、深緑の山、爽やかな風。雨で塵が洗われたのか何処までも透明な空気、海の向こうの駒ケ岳がくっきりと随分近くに見える。
ここ暫くの鬱憤を晴らすように夕方、近くの川を歩いた。
体に心に自然のエネルギーがチャージされたような気がした。
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蝦夷梅雨

7月になった。もう一年の折り返し。あっという間に半年が過ぎた感だが「時の流れが速い」と言うのはもう飽きた。

この時期の北海道は爽やかで最高の季節だ、と言いたいところだが、ここのところ雨続き、じめじめして内地の梅雨の様。
天気屋の俺は頭は腐りかけハートにはカビが生え神経はこんがらがり断線している。思考はしとしと降る雨と共に地の中に深く沈む。
散歩も出来ず、畑にも入れず、川にも海にも行けない。暫く見ていない日差しが恋しくてたまらない。
しかしこんな俺でも日照りが続き大地が乾ききると夕立のような雨に肌が打たれたくなるのだから勝手なものだ。考えてみると適度な水を欲しがるのは植物と同じく所詮人間も自然の産物でしかないのだろう。もちろん植物でもいろいろで水を好むものも好まぬものも有りまあ俺はサボテンの種か?
だが昔リバーカヤックに夢中になっていた時は雨が降り続き大雨が来れば増水すると小躍りして喜び、今でも冬は山に積もると思うからか雪も吹雪きも大好きなのだ。
ということは皮膚感覚や感性も無意識のうちに意識の支配下にあるということだろうか?
こんなつまらぬことを考えるのもこのじっとりとした肌にまとわりつく空気のせいだ。

「晴遊雨刻」まあお陰で毎日ずうっと仕事をしている。


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