カフェギャラりー杢&木彫工房SYU

洞爺湖町にあるカフェギャラりー杢&木彫工房SYUのブログです。

チャロその4、有珠山噴火

夫婦で行った旅から帰ってくると有珠山が大変なことになっていた。
地震が続き、もうすぐ噴火するのが確実で避難指示が出ているという。
虻田の家に向かうともう交通規制で洞爺湖方面に行けなくなっていた。
娘が居るからと(と言っても羊なのだが)どうにか洞爺村のチャロを預かってもらっているTさんの蕎麦屋までたどり着き、チャロの名を呼ぶと返事をし元気な顔を見せた。チャロを構いながらTさん夫妻と噴火がいつになるのか、などと話しているうち有珠山を見ていた旦那が「噴火したわ!」と当たり前のことのように言い、見ると有珠山の裾からもくもくと黒い噴煙が登りだしていた。どうも家に近い!慌てて家に帰ろうとするがすぐに完全な通行止め、噴火口から二キロ余りしか無かった家にはもうたどり着けず、そのままいわゆる避難民になった。もちろんチャロは預かってもらったまま。2000年3月31日のことだ。
これから三ヶ月以上の避難生活が始まるのだが、その話はまたひとつの話が書けるほどいろいろあったのでここでは省略。俺はカヤックやサッカーの友人に「明る過ぎる避難民」とありがたい称号を頂いては居た。

夏になって、どうにか家に帰れるようになり、チャロも引き取ることも出来たのだが、知人友人親や子身内まで誰もが皆、洞爺の蕎麦屋さんに居た方が幸せだと口をそろえて言う。確かに湖を一望する高台で広い土地もあり、またそこのポニーになつき、春に生まれた子馬とは兄弟のように遊んでいるのを見ると俺もそう思わざるを得なかった。T夫妻も喜んで引き受けてくれ、ここでチャロは正式に洞爺村に転居したのである。

このTさんというのはやんちゃ坊主をそのまま大人にしたような人で洞爺村生まれの自然児、アウトドアの申し子のような人だった。若い頃からスキーはもちろん、オートバイで野山を駆け巡りエンデューロとかの大会をしたり、洞爺湖で初めてカヌーのガイド、インストラクターをした人でもあった。消防署の職員だったのだが待機時間中何もしないで居る時、こんなことをして大事な時間を過ごしていいものかと思い悩み、辞めてしまったと言う。夫婦でトンネルの内枠を使い大きなかまぼこ型の家を建て夢遊館という蕎麦屋をやり、洞爺湖の中島までカヌーのツアーなどもやっていた。カヌーをやりにメキシコまで行ったり、放牧民の暮らしを見にモンゴルまで行っていた人でもあった。チャロを見ては、モンゴルで羊の解体を見ているから血の一滴も無駄にせず食料に出来るなどとよく冗談を言っていた。俺と同世代と言うこともありため口で話せる仲でもあり、随分遊んでもらったが、彼等のところには日本中から沢山の人が人柄を慕い遊びに来ていた。今思うと皆自分が心の底でやりたいと思っていることを、彼があふれる優しさを持ち、人並みはずれたエネルギーと行動力で実践してくれていたからではないかと思う。もちろんそこにはそんな彼を支えていた奥さんの大きな力があるのだが・・・・。彼のことを書き出すとまた一冊の本になってしまう。
俺としては、まあ本当に良い所に貰われたと娘を嫁に出した親の感でもあった。

それからチャロはポニー「もも」その子馬「すもも」T夫妻との生活の中、可笑しな出来事を次々と起こしていくのである。

続く!   いろいろなことがあってなかなか話が進まない。続編は一週間ほどでアップしようと思うのだが・・・。

SYU

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